コミュニティは「成熟期」にこそ試される
コミュニティは、立ち上げた瞬間に完成するものではありません。そこに集まる人たちの関係性や経験によって、少しずつ育っていくものではないでしょうか。
人が増え、交流が活発になれば、コミュニティは順調に成長しているように見えます。しかし、成長すればするほど、運営が難しくなる時期も訪れます。
特に注意したいのが、コミュニティの「成熟期」ではないだろうか、と思います。
コミュニティの成長は、大きく「初期」「中期」「成熟期」の三つに分けて考えられそうです。
初期のコミュニティでは、参加者の多くが様子を見ています。
「ここでは何を言ってよいのだろう」
「どのような人が参加しているのだろう」
「自分の発言は歓迎されるのだろうか」
このような不安があるため、積極的に発言する人はまだ多くありません。主催者が話題を提供し、それに対して参加者が少しずつ反応することで、場の雰囲気がつくられていくのではないでしょうか。
この段階で必要なのは、安心して参加できる環境なのかもしれません。小さな発言でも受け止めてもらえる、自分の意見をすぐには否定されない。そんな経験の積み重ねが、参加者の心を少しずつ開いていくのではないだろうか、と思います。
やがて、コミュニティは中期を迎えます。
参加者同士の関係性ができ、みんなが言いたいことを言えるようになります。主催者が話題を用意しなくても、参加者から自然に提案や意見が出てきます。新しい企画が生まれたり、困っている人を別の参加者が助けたりする場面も増えていきます。
この時期は、コミュニティが最も活発で、居心地よく感じられる時期かもしれません。自分の発言が誰かに届き、反応が返ってくるからです。
参加者も「自分はこのコミュニティに所属している」という感覚から、「自分もこのコミュニティをつくっている」という実感へ変わっていくのではないでしょうか。
ところが、さらに成長して成熟期に入ると、別の問題が起こり始めます。
発言が活発になるにつれて、影響力の強い人、いわゆる「声の大きい人」が現れることがあります。その人の意見がコミュニティ全体の意見であるかのように扱われたり、議論の方向が、その人の考えに引っ張られたりする場面も出てきます。
そうなれば、その人と反りが合わない人が現れるのも自然ではないでしょうか。
意見が異なること自体は、悪いことではありません。多様な人が集まれば、考え方の違いが生まれるのは当然です。むしろ、異なる意見があるからこそ、新しい視点がもたらされるとも考えられます。
では、成熟期における本当の問題は何なのでしょうか。
それは、意見が合わないことではなく、「自分の意見は、もう聞いてもらえない」と感じる人が増えていくことではないだろうか、と思います。
この傾向は、特に中期の頃から積極的に参加していた人に表れやすいのかもしれません。
かつては、自分の発言に反応があり、コミュニティづくりに関わっている実感がありました。それが、参加者の増加や一部の人の影響力によって、次第に薄れていきます。
自分と異なる意見が採用されたから、離れるのでしょうか。
必ずしも、そうではないように思います。
意見を伝える機会がない。伝えても受け止めてもらえない。自分の存在が軽く扱われているように感じる。そうした小さな失望の積み重ねによって、静かに距離を置くようになるのではないでしょうか。
周囲からは、ある日突然離脱したように見えるかもしれません。
しかし、その前から「話を聞いてほしい」というサインは出ていなかったでしょうか。発言が減る、参加頻度が下がる、以前なら提案していた場面で何も言わなくなる。そうした変化を、単に「忙しいのだろう」で済ませてはいなかったでしょうか。
成熟期の問題を乗り越えるために必要なのは、トップによる徹底的なヒアリングではないだろうか、と思います。
ここでいうヒアリングは、形式的なアンケートだけではありません。一人ひとりと向き合い、何を感じているのか、どこに違和感があるのか、何を大切にしてきたのかを丁寧に聞くことです。
もちろん、すべての要望を実現することはできません。
しかし、意見を聞いて受け止めたうえで、コミュニティとして何を選ぶのかを説明することはできるのではないでしょうか。
「自分の意見が採用されなかった」ことと、「自分の意見を聞いてもらえなかった」ことは、似ているようで、まったく違うのかもしれません。
トップがヒアリングを怠れば、表面上は活発でも、内側では不満や諦めが広がっていきます。やがて、古くから支えてきた人が離れ、残った人の意見にも偏りが生まれます。
その先にあるのは、コミュニティの弱体化、あるいは崩壊ではないだろうか。少し大げさに聞こえるかもしれませんが、決して珍しい話ではないように思います。
成熟したコミュニティに必要なのは、強いトップダウンだけでも、完全な多数決でもありません。
声の大きさに左右されず、小さな声にも耳を傾ける姿勢ではないでしょうか。
コミュニティは、育ちます。
だからこそ、その成長段階によって、運営の方法も変えていく必要があるのではないだろうか、と思います。特に成熟期には、「何を決めるか」以上に、「誰の声を、どのように聞くか」が問われるのかもしれません。
では、コミュニティが崩壊するとしたら、すべてトップが悪いのでしょうか。
トップが話を聞かないから、組織は崩壊していくのでしょうか。ヒアリングをしないトップのもとでは、崩壊を免れないのでしょうか。
答えは、NOです。
なぜなら、この見方には「では、自分はどう動くのか」という視点が抜けているからです。
誰かのせいにすることは簡単です。
「トップが悪い」
「トップが話を聞いてくれない」
「トップが方針を示してくれない」
どれも、実際に起きていることかもしれません。トップが果たすべき役割を果たしていないこともあるでしょう。
しかし、そこで考えることを止めてしまってよいのでしょうか。
本質的な問いは、「その状況で、自分はどうするのか」ではないだろうか、と思います。
トップに聞いてほしいのであれば、自分から話しに行くこともできます。ほかの参加者の声が届いていないと感じるのであれば、自分がその人たちの話を聞き、トップにつなぐこともできます。
もちろん、一人の力ですべてを変えることはできません。それでも、自分にできることが本当に何もないのか、一度立ち止まって考えてみる価値はあるのではないでしょうか。
あなたが今、動けることは何でしょうか。
そうです。
トップがヒアリングに来ないのであれば、あなたがトップをヒアリングしに行けばよいのです。
そして、TOPがみんなの話をヒアリングしにいかないなら、あなたが、みんなにヒアリングをしにいけばいいのです。
そう、試されているのは、自分なのです。
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